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| eラーニングと出版ビジネス
植村八潮
Source:
植村八潮,
1998, "eラーニングと出版ビジネス"
,東京電機大学出版局
編集課
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インターネットは歴史が生んだ最大の大衆参加型メディアだから、政府の干渉から可能な限り保護されねばならない。(フィラデルフィア連邦地裁判決)
1. まえがき
筆者は1992年に、コンピュータの光と影と題する論文1)で、「電気によって、われわれは中枢神経組織を全地球的に拡張し、あらゆる人間経験に即時的な相互関係をもたらすことができるからだ。」と言うマクルーハンの言葉2)を引用し、現在に至るコンピュータネットワークの可能性を考察した。当時、わが国の地方都市で利用できる広域ネットワークでは、電子メールとFTP、そしてTELNETなどのコマンドで操作するアプリケーションが使用できるだけであった。したがって利用者も研究者やコンピュータを扱うことを職業とする者に限られていた。しかし、新しいアプリケーションの普及はわが国における広域ネットワークの利用を予測できない速さと規模で進行させ、広域ネットワークの拡大は現在も衰えることなく続いている。コンピュータとそれを結びつける広域ネットワーク網の発達は、学校教育にも適用されつつある。これまで教育用には電話も使われてこなかったわが国の閉鎖的な教育システムに衝撃を与えつつある。本論はインターネットに代表される広域ネットワークが、個人と教育に与えるインパクトを考察し、ネットワーク時代の個人と教育のあり方を模索しようと試みるものである。
21世紀が物質として存在することを越えた人類の時代であることを2001年宇宙の旅でA.C.クラークが示した当時3、4)、ほとんどの教育関係者はそれが教育の現場に関係するテーマたりえることを予見しなかった。考えてみるとわれわれ人類は生物進化から無縁なように思いこんできた。しかし、立花隆は「電脳進化論」のあとがきに、「コンピュータ進化を通じて、いま人類の知的進化が加速度的に速まり」、この結果として「脳の仮想空間的拡張という現実が生まれている」と記している5)。情報化社会で現在進行しているコンピュータに関連する現象は我々が生物進化とは異なるが、ある種の進化の階段を一段登ろうとしていると考えることも出来よう。
シェークスピアは戯曲「TEMPEST」の中でプロスペロー侯爵に、「もはや余興は終わった。演じていた役者たちはみな妖精で、淡い空気の中に溶けてしまった。はかない幻の世界と同じく、雲に届く摩天楼も、贅を尽くした宮殿も、荘厳な寺院も、巨大な地球そのものも、地上のものはすべて溶け去るのだ。忽然と消えた幻の世界のように、霞さえ残さない。人間は夢と同じ存在だ。我々の一生の仕上げは眠りなのだ」と語らせた6)。
人間は夢と同じ存在だと言わせた、16世紀のシェークスピアが予測だにしなかった人類の未来像をアーサーC.クラークは1968年のSF小説に描き出した。その要点を抜き出せば、「しかしそれがデイビッド・ボーマンの最後の眠りだった。(中略)彼は時の通路を子供時代へと一路逆行しながら、知識と体験を洗い流している。しかし何も失われはしない。生涯のあらゆる瞬間にあった彼のすべてが。もっと安全な場所に移されているのだ。ここにいるデイビッド・ボーマンは存在をやめても、別のデイビッド・ボーマンは永遠に存在し続けるのだ。(中略)新しい形態をとる決心がつくまでは、あるいは物質にたよる必要がなくなるまでは、このすがたのままでいるつもりだった。(中略)それから彼は、考えを整理し、まだ試していない力について黙想しながら、待った。世界はむろん意のままだが、つぎに何をすればよいのかわからないのだった」というものである4)。アーサーC.クラークは2001年宇宙の旅で、人間が物質として存在する時代から時間と空間を越えた存在へ進化することを象徴的に表した。
確かに20世紀末に人類はコンピュータの発達と共に人体外部の記憶領域を急速に拡大し、広域ネットワークによって密接に結ばれ、広域ネットワークの網の目によって新しい社会の形成を模索し始めている。このような時代は、教育というものにどのような影響を与えるのだろうか。筆者は広域ネットワークの拡大と充実によって、人間の「外部記憶」が急速に拡大し、それが人間の脳だけに限ってきた記憶による学習という活動に変化を生じさせ、教育の体系そのものを見直す時期にさしかかっているものと考えている。
2. デジタルメディアの発達
マクルーハンはメディア論の中に、「明らかにコンピュータは、ちょうど現在の電気による全地球的規模のネットワークがわれわれの中枢神経組織を模倣しているように、意識の過程を模倣することが可能である。しかし、たとえ意識をもつコンピュータが生まれたとしても、それはあくまでもわれわれの意識の拡張に他ならないであろう。」と記した2)。メディア論が出版されたのは1964年である。この当時はまだ一般にコンピュータネットワークが利用される状況にはなかった。しかし1997年にコンピュータの光と影を考察するにあたって、広域ネットワークとしてのインターネットをコンピュータと結びつけて考えざるを得ない状況に至っている。
ここでどのような過程で現在に至るインターネットが発達してきたのかを簡単に振り返る。このインターネット発達史は、木村7)、古瀬・廣瀬8)、WIDEプロジェクト9)、B。M。Leiner
他10)を中心にまとめたものである。
2.1 インターネットの誕生
1960年代アメリカ国防省が、核戦争後の情報通信を確保するために、中央集権的でない、通信経路を複数確保できる連絡網を求めた。1962年にP.B.RANDがOn
Distributed Communications Networks と称する
Packet-switching (PS) networksの概念を提唱し、1969年にARPAが最初の"Interface
Message Processor"(現在のルータ)をカルフォルニア大学ロスアンジェルス校に設置した。これは、1969年にスタンフォード大学、
カルフォルニア大学サンタバーバラ校、ユタ大学にも設置され、ARPANet
(Advanced Research Projects Agency Net) が誕生し、1970年に通信プロトコルとしてNCP
(Network Control Protocol) (現在のTCP/IP
)を採用した。このネットワークの利用目的は遠隔のコンピュータ利用(computer-sharing
network,remote-login)と電子メール (e-mail,mailing list,
file transfer)であったが、後者の電子メールの利用が急増した。中でも同報機能利用のメーリング・リストの誕生("SF-LOVERS")と1981年のBITNET
設立(the "Because It's Time NETwork")、そしてCSNET
(the Computer and Science NETwork)によって急速に利用範囲が広がった。一方、1979年にARPANET
の研究プロジェクトに加われない大学院生らが、ネットワーク構築と情報交換のためにUSENETを作り始め、インターネットが自由なコミュニケーション空間としての文化を持ち始めた。1980年米国コンピュサーブ社によってパソコン通信が始まった。
2.2 インターネットの成長
1982年にTCP/IPが正式に通信プロトコルとして定められ、いわゆるインターネット(Internet)が成立した。1983年に軍が
MILNET として ARPANet
から独立したので比較的規制が緩和され、1984年にはホスト数1000を越えた。1984年わが国でJUNET
(Japan Unix Network)が 設立され、1986年に公衆電話網を介してインターネットにつながった。これ以降、インターネットの研究を具体的に行う環境が整い始めた。
1986年、NSF (National Science Fund)がNSFNetを設立しインターネットへ積極的に関わり始めた。NSFは、5つのスーパーコンピューティング・センターを高速回線で結ぶなどインターネットが世界のネットワークとして機能する基盤を整備した。1987年ホスト数10000を越え、1989年にはホスト数10万を越えた。1987年わが国でPC-VANとニフティサーブがパソコン通信の営業開始。
1988年、村井純らがWIDEプロジェクトを発足させ、WIDE-netが日本初のTCP/IPバックボーンとなる。1989年東京大学とNSFが結ばれ、同年慶應義塾大学とハワイ大学が通信速度64kbpsの専用線で結ばれた。
2.3 インターネットの成熟
1992年にはCERNがWWWを発表し、ホスト数も100万を突破。1992年WIDEとPC-VAN、ニフティサーブの間で電子メール相互接続を開始。
1993年アメリカのクリントン大統領によって全米情報基盤整備が発表され、MOSAICの普及と併せてWWWが米国の利用者を急増させた。IIJなどが商用接続サービス開始。
1994年にJUNETがその役割を終え、解散した。NSFネットも廃止され米国の広域ネットワークのバックボーンは全て商用化された。わが国のインターネット・サービス・プロバイダー(ISP)がPPPによる個人向けの接続サービスを相次いで開始。
1995年わが国の小学校・中学校・高等学校などにもさまざまなプロジェクトを通じてインターネット接続が行われ始めた。
1996年2月に、インターネットの検閲を認めた通信品位法が成立したが、1997年6月に米最高裁で違憲判決が下された。この年、東京都世田谷区立のある小学校のクラスホームページに対し、世田谷区個人情報保護条例違反で削除命令が出された。NTT-学校法人東海大学が衛星利用マルチメディアプロジェクトの実験を開始。
1997年文部省学術情報センター運用のバックボーンであるSINETと外部組織(商用ISP,NSPIXP,NSPIXP2)との相互回線の帯域が利用者急増により不足し始めた。教育利用に困難を来した私立大学は、商用ネットワークの利用を個別に実施し始めた。これによって、教育機関が複数のネットワーク経路を確保し、真のインターネット接続が実現し始めた。私立大学で衛星を使った遠隔教育のプロジェクトが文部省の支援でスタート。
1997年6月、わが国最大手のパソコン通信「ニフィテイ」の会員数は、242万人と発表された。1997年6月17日付朝日新聞によると、1996年のインターネット利用者数は、前年の3倍の530万人に達し、西暦2000年には3200万人になると予想している。
3. デジタルメディア(コンピュータの光)
インターネット発達史に現れた現象をまとめるとデジタルメディアの進化と読み直すことができる。デジタルメディアとは、文字、画像、音声、映像などの情報をコンピュータで作成・加工・流通・蓄積するものの総体を表すものである。インターネットの誕生初期、言葉を運ぶ役割がそれまでの遠隔ログインを中心とするコンピュータネットワークと異なる利用法として評価された。これがはがきや手紙を電子メールに置き換えてきたし、ラジオのようなインターネットニュースなどというメディアをも生み出してきた。
1980年米国コンピュサーブ社によってパソコン通信が開始され、この仕組みは現在も膨大な数の人々をパソコン通信会社のホストコンピュータを介して結びつけている。パソコン通信は、必要な時に一般の電話回線にモデムやターミナルアダプターを介して接続し、利用者のコンピュータとホストコンピュータをつないで情報の交換を行うものである。ここで利用されるのは、電子メール、電子掲示板、チャット、プログラム流通などである。
かつて、インターネットとパソコン通信が別々に閉じた世界を形成していたので、インターネットのユーザーとパソコン通信のユーザーは、電子メールを直接やりとりすることは出来なかった。現在はほとんどのパソコン通信がインターネットとの間で電子メールの相互交換を行っているので、電子メールに関してはインターネットがパソコン通信をも取り込む形になっている。インターネットはTCP/IPプロトコルによって複数のネットワークが結ばれて形成されている。各パソコン通信が固有のプロトコルで運用されていても、TCP/IPプロトコルに変換してインターネットと接続することで、異なるネットワーク同士が相互接続されることになる。ここで相互接続という表現を用いたが完全な相互接続を果たすためには、デジタル専用線で結ばなければならない。一時的に断続するPPP接続という方法が一般的となった現在、インターネットサービスプロバイダー(ISP)のサーバーに情報を置き、電話が繋がったときだけインターネット接続が可能となるPPP接続で、各種サービスを利用する方法で個人がインターネットに参加している。この様な仕組みはパソコン通信のホストを利用者が共有するのと同じ事であるので、パソコン通信を運営する企業はISPとしてのサービスも行っていることが多い。
アラン・ケイは、マイクロエレクトロニクスとパーソナルコンピュータと題する論文11)で、「1980年代には、大版ノートほどの大きさで個人として必要な情報関係の作業が、事実上すべて処理できるコンピュータを、大人でも子供でも、個人で所有できるようになるだろう。処理能力と記憶容量は、現在のマイクロコンピュータの数倍になり、1秒間に数千万の基本オペレーションを実行する能力を持ち、印刷物に換算して数千ページ分の情報を扱えるようになるだろう。」と述べた。この予測は、1997年ユーザーの希望にあったノート型ないし超小型パソコンが市場に流通することによってほぼ実現した。また、PHSなどの無線デジタル通信を使って電話のないところでもインターネットの利用が可能となり、ほぼ満足いく環境を作り出した。
このような状況の中でのコンピュータの光とは、TCP/IPネットワークにおける知識の相互利用を可能にするWWWの普及によって、急速にわれわれの外部記憶領域が拡大している点である。1973年にアラン・ケイが中心になって制作したパーソナルコンピュータのALTO以来、ノイマン型コンピュータは性能を若干向上させるにとどまった。一方、そのコンピュータを結び付けて機能するネットワークアプリケーションの進化は目を見張るものがある。それは第2章で詳述した広域ネットワークの発達史に明確に表れている。これを筆者はコンピュータの光と表現した。
4.
メディアと実体の混乱(コンピュータの影)
筆者は、1992年段階でのコンピュータシステムがもたらす問題点を考察した1)。ここで指摘した問題は、コンピュータシステムが社会基盤を構成しつつある中で解消されてきた。一方、明確に指摘されなかったメディアと実体の混乱、すなわち現実と仮想現実との境界の不鮮明化は拡大する傾向にある。
イタリアのSF作家Roberto Quagliaはイギリスのダイアナ皇太子妃の死が現実か仮想現実かについてのエッセイ12)をまとめた。メディアが死を証明することで彼女の死は絶対的な現実となり、その死以前の彼女にまつわる出来事はそこで収束する。その死の時からダイアナは仮想現実の世界で停止した時を保ち続ける。ここに象徴的に現れたのが、現実と情報を介して生まれる仮想現実との遊離である。現実を確実に把握する極少数の関係者以外はメディアという情報装置を介した仮想現実の世界を事実として認識する。
これは1997年夏に神戸市で起こった児童虐殺事件の犯人とされる少年の手記にも別の形で現れる13)。この15才の少年は、「ちょうど蝋で作ったバラのつぼみや、プラスチックで出来た桃の方が実物は不完全な形であったのに、俺たちの目にはより完璧に見え、バラのつぼみや桃はこういう風でなければならないと俺たちが思いこんでしまうように。」と散文形式の文章を犯行の前に書き残していた。現実と仮想現実の関係を的確に表現したこの文章は、何処から手に入れたのだろうか。それとも現代の中学生には、このように現実を仮想現実的に捉えることが一般的なのだろうか。
神戸の少年を頂点とする現代の少年たちの思想の背景にある現実と仮想現実の関係について、小川信夫は情報社会の子どもたち14)で急速に変容した現代社会の歪みにあると指摘した。小川は、「大人と子どもが雑居し、豊かな物質文明の中で、労働とはほど遠い飽食時代の子どもたちがそのまま、大人社会に組み込まれてきた新しい中世時代の始まり。」として現代が中世と同じ様な、子ども時代を失った子どもたちの時代(筒抜け円筒社会)であるとした。
振り返ってみれば、中世の筒抜け円筒社会から子どもを保護する社会は18世紀頃に実現され、ジャン・ジャック・ルソーやペスタロッチの啓蒙活動によってこども社会の存在基盤が確立された。わが国では大正時代に、児童中心の新教育運動が起こり、成城小学校、自由学園、明星学園などが相次いで誕生した。その後第一次、第二次大戦へ向かう全体主義の流れに飲み込まれたが、戦後のアメリカ主導の経験主義の台頭で子ども社会は復活した。戦後の教育の理想を垣間みる空間「鎌倉アカデミア」が、1946年(昭和21年)に大学校として鎌倉に誕生した15)。三枝博音校長の指導で、在野の個性豊かな教授陣のもとで、自由な人間づくりをめざした先駆的な試みが行われ、多数の傑出した卒業生を送りだした。
前述の「情報社会の子どもたち」で小川は、映像メディアとしてのテレビの力とファミコンに代表されるテレビゲームの流行によって、子どもの現実世界はますますシュミレートされているという。小川は続けて言う、「居間にいながらにして、外界の現実世界や虚構の世界を映像や音の情報で疑似体験できるわけである。どこか知らない遠くで起こった現実の事件も、テレビ局が作り出す虚構の世界も、テレビというメディアを通じて子どもに送りこまれるときには、彼自身とっては、いずれも実の体験や経験ではない。あくまでもつくられた情報が常に子どもたちの世界を取りまいている。こうした情報環境の中に生きる子どもたちは、ともすると虚構と現実の境界線が崩れていく危険を持っている。」と情報化された現代社会の中の子どもたちを分析した。
ファミコンのような一種のコンピュータゲームでは、映像メディアよりも一層虚構と現実の境界線は不明確になってゆく。テレビやビデオや印刷媒体では、そのメディアに関わるのは身体の運動を伴わない脳の中の思考である。しかしファミコンでは、手指の動きを通して積極的にゲームに関与するので、虚構は仮想現実となり、意識の中でほとんど現実と変わらない位置を占めるようになるものと思われる。ある面で現代のコンピュータが織りなす広域ネットワークは、ゲームという囲いを取り払ったゲームと化しつつある。網の目のように結び合ったWWWの編み目に何が隠されたいるのか、それが虚構なのか真実なのか、その網の目に我が身の分身を置くことで、あたかも仮想現実空間に居住するかのごとき錯覚に陥るのはた易いことである。したがってテレビゲームと共に育った若い世代にとって、虚構と現実の境界線が崩れていく危険を内包することは自明であり、コンピュータの発達がそれを加速させることも当然である。
筆者は、現代がマスメディアの発達によって現実と仮想現実との境界の不鮮明化を拡大させた時代と捉えた。この現実と仮想現実との境界の不鮮明化を、コンピュータと広域ネットワークの発達は増大させている。これを1997年におけるコンピュータの影と表現する。
5.
広域ネットワークが創出した新しい学校
ここで、Ivan D.Illich の「脱学校化」16)というパラダイムを通して、学校教育制度によって我々は何をしているのかを考えてみよう。1970年に、Ivan
D.Illichは、"web"という言葉を使っている17)。Illichは、人生の瞬間を、学習し、知識・技能・経験をわかち合い、世話しあう瞬間に変えることが出来るような"web"(network)をこそ求めるべきだと主張している。今から27年も前に、World
Wide Webが、求めるべき教育に必要だとIllichが主張していたと考えることが出来る。インターネットが誕生してから10年経ち、やっと学校に革命を引き起こすインターネットの使い方が普及してきたのである。それはNetscape
Navigatorに代表されるWWWであると言えよう。Illichの言う"web"が技術として現実になった今日、脱学校が起こりうるし、必要であることを筆者は主張する。
次にマクルーハンが35年ほど前から発表してきた、メディアに関する著述2、23)に共通する、「印刷と新しいコミュニケーション技術に関する意識を目覚めさせることによって、それらメディアを交響させ、相互の衝突葛藤を最小限にくいとめて、教育の過程でそれぞれのメディアから最良のものを引き出す」、というパラダイムを現代に適用する。McLuhanはグーテンベルグ以前と以降の決定的差違は、印刷されたページがもつ視覚的な均質性から、それが表現しているとされる世界自体も均質なものであると思い込むようになった点にあるとした。この均質性と釣り合いを取るかのように「個人」という観念が浮上してきた訳である。残念ながら、わが国の教育現場では、生徒や学生の自己同一性(identity)を積極的に育むことが出来ないまま、「個人」を中心としたインターネットやマルチメディアが学校教育にも流れ込んでいる。この事がこれからの学校に重大な問題を引き起こすことを筆者は危惧するものである。
マクルーハンは、古代からから近代に至る過程で、活字(書物)が視覚強調を促進させ聴覚・触覚を抑圧し、近代のテクノロジー・個人主義・ナショナリズムなどを形成したプロセスを浮き彫りにした。活字文化と電気・電子技術が競合し、コンピュータによって"web"が一般的になった現在、グーテンベルグの銀河系18)が新しい文化の創造そして教育の創造に予言を与えるものである。
グーテンベルグの銀河系でマクルーハンは、テレビが低視覚指向性と高参加性を強いる新しい環境を提供するため、われわれの古い教育体制への適応がきわめて困難になっている子どもたちの存在を指摘している。マクルーハンは、あらゆる手段を尽くして、既存の教育体制が拠って立つ、断片化した視覚の世界からの脱出推移を容易にしてやる必要があると指摘する。Illichのwebをこそ求めるべきだという主張と同様に、マクルーハンも子どもたちを古い教育体制から救い出さねばならないと指摘している。
古い教育体制とは、書物を媒介として知識を伝達する教育の総体である。知識の蓄積は試験によって確かめられ、免許によって権威付けられる。技術やノウハウも知識として試験され免許が与えられる。医師も弁護士も大工も床屋もペンキ職人も同じように免許ないし資格によって技術と能力が裏付けられる。Illichやマクルーハンは、次の時代は、権威を与える教育ではない真の教育が必要であると指摘している。筆者も広域ネットワークの発達が実現しつつある現代にこそ、人生の瞬間を、学習し、知識・技能・経験をわかち合い、世話しあう瞬間に変えることが出来るような、本当の意味の教育が蘇る事を願っている。WWWに代表されるインターネットはこのような目的の為に極めて有効な道具である。この時障害となるのは学校の壁であり、壁を支える社会であることは言うまでもない。筆者は「学校の壁」という隠喩を用いて、学校制度が内包する学校の内側と外側を区別する伝統的概念を指し示す。したがって教育の改革は壁の内側、すなわち学校の中からだけでは、決して成就しないという認識が重要となる。
6. 終わりにー外部記憶の拡大と進化
1995年、Nicholas Negroponte が書いたbeing digitalという本が話題となり、わが国でもアスキー出版局から「ビーイング・デジタル」として翻訳出版された19)。being
digitalの原本の一部がOnline VersionとしてWWWに置かれている20)。ニコラス・ネグロポンテはボストンのMITメディアラボの所長である。そのメディアラボでは、情報をデジタル化し定式化する研究、そして定式化された情報をコンピュータに理解させる研究が進められてきた。これらの研究は、福武書店から「メディアラボ」スチュアート・ブランド(室謙二他訳)21)として出版されているので、そこに現在商業化されているもののあらゆる萌芽を見ることができる。
ネグロポンテは、「日本は、わたしの知っているどの国よりも画一的なところがある。デジタル化はそれを改めるいい機会なのだ。」とビーイング・デジタルの日本語版前書きで言い切った。これは彼に指摘されるまでもなく日本社会の特徴であり、大きな問題点でもある。
文字、画像、音声、映像などの個人情報をコンピュータに蓄積し再利用することで、自ら加工することができる外部記憶、および入出力装置を保有することが、「デジタル」の意味することであると仮定する。筆者が使う「外部記憶の拡大」はマクルーハンがextensions
of manと言い、佐伯が「わかち持たれた知能」22)と表すことと同じ意味である。いわゆるスタンドアローンのコンピュータのハードディスクやCD-ROMに蓄積されるだけの記憶ではなく、広域ネットワークによって相互に結びついたコンピュータ(ハードディスク)情報の動的相互交換なのである。
インターネットは、このような「デジタル」を生かすための道具となる。私たちはアナログの世界で生活している。そこは質量を持った物質が支配し、人類もその一部を成す。デジタルな世界に持ち込む事で意味のあるのは、アナログ世界の情報、それも再利用する情報である。この情報を「デジタル」にして、保存したり、送ったりすることで、容易に情報を共有することが出来る。インターネットでつながった人々の、多様な情報資源を「デジタル」は使い合うことを可能にしてくれた。
デジタル化された情報が複合的に組み合わされた「モノ」をマルチメディアと呼んでいる、と先ほど述べた。ここで言う「モノ」は「物」とは異なる。私たち生物は、「物」の世界でこそ生きてゆくことが出来るのであり、「モノ」は「デジタル」と「物」とのインターフェイスとして急速にその姿を現しつつある。「デジタル」世界が短い時間で形成されているので、これまでの「物」を中心とする世界との間に様々なトラブルを引き起こすのも当然なことであろう。それは、「デジタル」と「物」との接点にある「モノ」が未成熟であることにも起因するものと思われる。「デジタル」は仮想現実空間を膨張させている。しかし、いわゆる「デジタル」世界は「物」によって構成される現実空間の情報部分だけによって成り立つ、著しくいびつな世界である。そのいびつな世界が拡大しつつある時代ををマルチメディア時代と呼ぶのは言い過ぎではなかろうか。
いびつな世界に生きる個人は、「物」によって構成される現実空間を今まで以上に、知る必要がある。これからは、マルチメディアが「デジタル」と「物」のインターフェースとしての機能を果たし、それを通して個人は「デジタル」の恩恵を受けることが多くなるであろう。その結果、今まで以上に「物」についての認識が希薄になってゆく。「物」には自分自身も含まれる訳だから、個人の自己同一性(identity)が形成されにくくなるように思われる。
日本は父性原理による個の確立が行ないにくい社会であり、母性原理を基礎にもった永遠の少年型の社会だと言われる23)。河合隼雄によると、西洋人の場合は、意識の中心に自我が存在し、それによって統合性をもち、それが心の底にある自己とつながりを持っている。ところが日本人は、意識と無意識の境界も定かではなく、意識の構造も、むしろ自我を欠く、無意識内に存在する自己を中心として形成されるので、それ自身、中心をもつかどうかも疑わしいという。ネグロポンテが指摘した、世界有数の画一社会と自己同一性の低い民族性が世界的デジタル化の波に呑まれているのが現代と言える。
このように特殊な社会に、「デジタル」が急速に普及し、状況を一層複雑なものにしている。しかし、「デジタル」と「物」の接点にマルチメディアが位置づけられるなら、マルチメディアにはわが国固有の個人状況を解決する潜在力があると考えることも出来る。まだまだこの力に気付いている個人は少ないようだが、これは大切なことである。
筆者は本論第3章で、コンピュータを結び付けて機能するネットワークアプリケーションの進化をコンピュータの光と表現した。また第4章で、コンピュータと広域ネットワークの発達が、現実と仮想現実との境界の不鮮明化を増大させている事をコンピュータの影と表現した。20世紀末、ネットワークアプリケーションの進化によって「外部記憶」は急速に拡大し、人類の知的進化は堰を切ったように進みつつある。評論家で現在東京大学客員教授の立花隆も、現代は人類史において非常に特異な時代であり、インターネットの巨大化で全地球的な脳、すなわちグローバル・ブレインが形成されつつあると主張する24)。
このような時代になって知識情報を伝達するだけの学校の役割は相対的に低下している。これからの学校の役割として重要になるのは、情報という「モノ」を媒介にしないで現実を把握させることである。現実をしっかりと受けとめ、仮想現実を「モノ」として受けとめることの出来る人間を育てる場として学校が機能するならば、人類の知的進化を支える機関として存在価値を持つであろう。それは例えば、学生たちが45億年の地球史を現在の地球環境に結びつけ、地球上の自然の営みが歴史性と階層性を持つことを学ぶことである。これに加えて現代は地球と生命を“A
new look at life on Earth”25)的に把握する観点が必要である。またある程度以上の年齢層の学習者には、現実社会の経験をもとにして教育が行われる場として学校を作り変えることも必要である。学校は現実の社会で生きるために、「外部記憶」を有効に使う方法を身に付ける場所となる必要がある。
人間の身体と精神の成長に合わせて、現実(「物」)世界と仮想現実(「デジタル」)世界を試行錯誤的に体験する場として、学校を再構築する作業が早急に求められている。この場が物理空間を占有する必要はない。「デジタル」な方法や経路を用いて「物」がシュミレートできるなら、それも選択肢の一つであろう。これからの時代の教育は人類の知的財産を継承するだけでなく、人類が歩んだことのない道を歴史的・階層的判断で演繹的に模索する能力を育む必要がある。もう過去の遺産で生き延びる時代は終わった。教育も新しい方法論を構築しなければならない。筆者は本論を閉じるにあたり方法論を模索する作業を開始し、webを通して「僕の脳を君の脳に」してゆく決意である。
2001 will not arrive by 2001. Yet-barring accidents- by that
date almost everything depicted in the book and the movie will be
in the advanced planning stage.(A.C.Clarke,1982)
謝辞
本論をまとめるにあたり、インターネットのメーリングリストに流れるように投稿される電子メールから数え切れない示唆を得た。そのメーリングリストは、JUNETとJUCEに始まり、tea-net,hwg,pewi,school-tech,WIDE,Roadmap,tourbus,FAGRIなどである。また本学情報処理学科の八尋剛規氏にはインターネットの成熟の項で示唆を受けた。
北村龍一前学長、光澤舜明学長からは「物」世界と「デジタル」世界を考えることの出来る恵まれた環境を与えられた。福岡短期大学の教職員からはさまざま協力と助力を受けた。学校法人東海大学総合研究機構およびNTTマルチメディア事業本部の関係各位には遠隔教育を通した「デジタル」世界の可能性を教えられた。本投稿論文の匿名査読者から丁寧で真剣なアドバイスをいただき、新ためて論文を創る喜びを堪能することが出来た。ここに記して感謝の意を心から表する。
引用文献
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21)スチュアート・ブラント(1988)メディアラボ(室謙二・麻生九美訳),福武書店,東京,342PP.
22)佐伯朕(1997)新・コンピュータと教育,岩波書店,東京,199.
23)河合隼雄(1976)母性社会日本の病理,中央公論社,東京,265PP.
24)立花隆(1997)インターネットはグローバル・ブレイン,講談社,東京,365PP.WWW
URL;http://www.komaba.ecc.u-tokyo.ac.jp/~ctakasi.
25) J.E.Lovelock(1982) GAIA ,Oxford University Press ,New York,157pp.
著者のページ,WWW URL;http://www.ftokai-u.ac.jp/~solo.
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